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Chiropractic  健康はカイロプラクティックとともに 

Chiropractic 健康はカイロプラクティックとともに 

▼精一杯生きること


予防医学のカイロプラクティック

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自分を生かすということはどういうことなんだろう。。。。。。。。

「 自分を生かす( 活かす ) 」 ということが どういう意味なのかさっぱり分からなかった。

大概 活かすと・生かす と考えると どんなことに対しても 何か思い切って出来るような、 その様なイメージが浮かぶのだが、 どうだろうか?

この文章を書いている今の年齢は 55歳になるんだが、 この年になるまで この言葉の意味が 深く理解出来ていなかった。

これまで この肉体を利用して生きている この人生の時間の流れの中で、  精一杯生きていると言えると思うが、 “ 心の実感レベル ” で本当に精一杯生きてきたか? と問われると、胸を張って 「 ハイ! 生きて参りました! 」 と言えない、 自分に自信のない発言しか出来なかった私でした。

そりゃ 今も そんなに自信がある訳はないんだけど、 しかし五十数年間という度重なる時間の流れの中に身を置いていると、 結構それなりの 理解力というのか、 物事の判断が出来てきたのは間違いはございません。

それでも この “ 自分の人生 ” をいつも心に思うと 自分を生かす ということにおいて、 「 どうしたら自分を生かすことが出来るのか? 」  という結論が そろそろ欲しくなって来ます。

しかし その結論は 今だに出てこないのですが、 最近あるインスピレーションとともに この問題に対して “ (心の中で)ビジョン的な感覚 ” を得ることが出来たので、 それを書いてみたいと思います。


それじゃあ 生かすというシチュエーション、場面ですが、 どういった時にそれを感じることが出来るのか? と考えると、 やはり自分の目標や、目標を実現化するための方法としての目的を実践する中で、 精一杯自分の思いを表現し、 思いっ切り 思った通りに実行している姿を 場面として目に浮かばせ、感じ取ることが出来ます。

やはり 自分の思い通りに事が進んでいると 自分を生かしている感じになるのではないでしょうか?

しかしそれでは常に 物事がうまく運んでいる必要があります。

でも人生というやつは、 誰にでも共通して言えることですが、 自分の思い通りに進んでくれるものではありません。

なぜなら 苦痛や苦労の知らない人生では、 中身の薄っぺらい重みのない 人生になってしまうだろうからです。

ハッキリ言って、苦痛や苦労を感じ知らなければ、 人間の心は 豊かにはなりません。
そして 厚味のある、 愛情豊かな 「 心 」 に成長することは 大変難しいものとなることでしょう。

だからこそ 苦労することは とても大切なことなのですが、 しかし 苦痛を受けたり苦労することだけが この人生の目的ではないですね。

その苦痛・苦労する 「心」 の実行の中で、 どの様に 自分という霊(魂)の 心の自由性を発揮することが出来るのか? ということを判断してまいりますと、 自分を生かす というところに、 考えが集約されてくるのです。


私たちの人生には、 様々な艱難辛苦が その人 ひとり一人に違った形で 目の前に現れてきます。

そして 各人それぞれの人生は どれもが一貫して 互いに連なっていることが判断できるようになると思います。

そう 全く 関係のない他人同士の人生のように見えて、 それぞれ他人同士が関連しあっている ということが言えるのです。

そのそれぞれの人生には、 その人の魂( 心 ) が関係しています。
当然 それはその魂の心の問題であるからです。

その関連は、 『 必然 』 という法則で成り立っていて、 『 偶然 』 という架空論ではないからです。

そう 全ての物事や要素は 必然的につながっており、 必然的にそれぞれの答えが存在しているということです。


私はこの必然のこの世で、 この歳になるまで 精一杯生きてきた自信が 全くありませんでした。

しかし本当にそうなんだろうか? という疑問が 最近とみに湧き上がりました。

どうしても納得いかないからです。

誰もが必死に生きている。 この肉体を維持するために、 この世の法律を遵守して生きている。
だから 精一杯生きていないという事にはならないだろう? 

その様に考えることが出来ます。

確かに 「 肉体を維持するだけのこの世の人生 」 のように感じますが、 現実は 「 心の進化 」 のための人生であることに間違いはありません。

だからこそ 精一杯生きた! という実感があっても良いのではないのか? と思っています。


そして最近考えがまとまってきました。

自分を生かす という範疇は、この三次元のこの現実の物質社会において、 あらゆる当然、 あらゆる仕来たり、 あらゆる当たり前、 等のような風習や 常識に支配されない生き方、 それを指しているのではないのか? その様に思えるのです。

もちろん 何をしても良いというのではなく、 自分の心の中を見て、 正しい生き方を模索した後、 その正しさを生きることがとても大切な行為であると その様に思えるようになりました。

人間には、三つの 「 ち 」 があると言われます。
「 地 」 土地。  生まれ出たその地方の風習。
「 血 」 人間関係。  その縁者から来る捉え方。
「 知 」 生まれた時の時代の知識、情報。

これらの影響によって、 人は生まれながらにして 多くの心の影響を受けることになっています。

しかし人は、 この人生に 必ず疑問を持つことになります。

その疑問を追及すれば、 必ず問題提議をすることになります。

そして考えるのです。 どうしてそうなるのだろうか? と。


私もその中の一人にしか過ぎません。

生かす・・・ということ。 

私の結論はこうです。

私達が生きるこの社会の中で、 どうしても避けられないことが沢山あります。

その中で、「 生まれることと死ぬこと 」 は、誰にも平等に与えられている、 宿命です。

そして あらゆる雑音の中で、 宿命の中で、 自分を見失わずに生きる ことこそ、 精一杯生きるということなのです。

「 自分を見失わない 」 

どの様な自分なのでしょうか?

それは、 自分が 「 心正しき者に成れる チャンスがある 」  自分です。

自分の心の中には、 「 人に嘘はつけても、 自分には嘘はつけない。」 という、 その心の中の善、 正しき判断基準が誰にも備わっていることが理解でき それを実行・実践できれば、 間違いなく 心正しき者に成れるのです。

そのために、 多くの 心を苦しめる困難が待っているのです。

だからこそ この困難に立ち向かって行くことが その問題解決を早めるのです。
そして その中から得た心の発見は、 自分の魂を しっかりと大きく、 豊かにして行くことが出来るということになります。

そして 自分という個性は、 この精一杯生きる中に 発揮されることになります。

常に 自分の心を統御し、 心の中で善なる心と対話し、 悪の心を排除し、 常にどの様な罵詈雑言を聞こうと、 嫌がらせを受けようと、 心の善と共に生きていく、 そこに、 自分を生かす・活かす ということが存在している、 そう信じることが出来ました。

しかし 自分だけが正しいのだと、 酔いしれては 全く違ったことになってしまいます。
酔いしれることは、自分を見失い、出来てもいない自分の姿を過大評価したり、悦に入ったりして、心を増長させている状態です。

心の発見は 誰にでもあることですし、 心の中を調整できるのも その人が調整したいと思うからそうできるのです。

体の調整も、 心の問題と同じです。

痛いところが発生したために、 その痛みを取りたいから治療をします。
そして その痛みを取り除く治療が出来たとき 人は安心します。
取り除きたいという心の思いが、 その様に実践させます。

当たり前のことですが、 心の問題においては さほど重要ではないと考えるのか、 心の問題が 体にも影響させていることなど 考えることもないかも知れません。

しかし 心の問題は 体の機能維持にも関係する事柄なのです。
大きな問題なのです。


精一杯生きることが、 どれだけ心を大きくさせることが出来るのか。

そして 沢山の心を悩ませる問題が、 どれだけ多くの知慧を産む事が出来るのか。

それを考えれば、 心を不動の元に精一杯生きることで、 この人生をおおらかに生きることにつながるんだという判断が 出来るのではないでしょうか?

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